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「矢切の渡し」(やぎりのわたし)は、石本美由起の作詞、船村徹の作曲による演歌。1976年にちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表され、1982年にはちあきなおみのA面シングルとして発売された。翌1983年に多くの歌手によって競作され、中でも細川たかしのシングルが最高のセールスとなった。 == 概要 == 東京都と千葉県の県境を流れる江戸川で、葛飾区柴又と松戸を結ぶ渡し舟がある矢切を舞台にした歌である。 元々は、ロッキード事件で世間が騒然としていた1976年10月1日に発売されたちあきなおみのシングルEP「酒場川」のB面曲として発表された〔読売新聞社文化部『この歌 あの歌手(下)』社会思想社、1997年、204-205頁〕。 プロデューサーだった中村一好をはじめとする製作陣は本作をシングルのA面として発売することを希望したが、ちあきは「酒場川」をA面とすることを希望したため、本作はB面収録となった〔。なお、この時にはタイトルは「矢切りの渡し」と表記されていた。 人の耳にとまりにくい売り出しで、空前の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」の前に影は薄かった〔。 それから6年が経った1982年、ちあき盤「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に用いられたことで好評を博し、同年6月に開始したTBS系列のテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(梅沢も出演した)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。そこで、同年10月21日に本作をA面としたシングルが改めて発売された〔「歌伝説・ちあきなおみの世界」(NHK-BS2、2005年11月6日放送)〕。 バーニングプロダクション社長・周防郁雄が同プロ所属の「細川たかしに歌わせてみたい」と〔、翌1983年に細川のシングル(後述)が発売された。同年にはこの他、瀬川瑛子、中条きよし、春日八郎&藤野とし恵、島倉千代子&船村徹など、7種のシングルが競作で発売されたが、中でも最も売れたのが細川盤であった。ただし、当時の有線のチャートではちあき盤が首位にあった。また、瀬川盤はオリコン44位にランクインしている。 本作は他にも、美空ひばりがLPアルバムで、中森明菜が2007年のアルバム『艶華 -Enka-』でカバーするなど、LPアルバムでは1997年1月の時点で28人がレコード化した記録が残る〔。 本作の作曲を手がけた船村徹は、ちあきなおみに提供した楽曲が細川たかしの歌唱によってヒットしたことについて、「ちあきの歌は(楽曲のイメージ通りの)手漕ぎの櫓で、細川の歌はモーター付の船だ。」という評価を下している。また、ちあきの歌は「鑑賞用」で細部まで聴かせる歌なのに対して、細川の歌は一本調子で楽曲の難しい部分を省略した歌い方でありカラオケなどで誰でも歌えると世間に思わせてしまっている、とも発言している〔『ちあきなおみ 喝采、蘇る』(石田伸也著、徳間書店、2008年)〕〔「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京、2007年2月16日放送)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢切の渡し (曲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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